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実業家としての手腕

【クィーンズウェア】も順調な売れ行きで、全世界にもファンを増やしていったウエッジウッド社ですがその中でジョサイアは再び工場を移転することにしました。その場所にはニューカッスル・アポン・ライムとハンレーの中間の土地を選びました。この土地はイタリア南部の地にちなんでエトルリアと命名されました。工場の名前もエトルリア工場になりました。1769年に操業を開始した後もしばらくはブリック・ハウス工場では低価格路線の実用品の生産が続けられていましたが、しばらくすると全製品が移管されていきブリック・ハウス工場は閉鎖されました。

エトルリア工場は当時最大級の工場でもありましたが、ジョシュアはこの頃、在庫の増加が資金繰りを圧迫。そして資金繰りから経営を危険にさらすことを初めて理解することになりました。そしてその当時としては先進的な原価計算を取り入れるようになりました。原価計算を取り入れることで、高級品の生産に対してありがちなコスト増をすることを防いだ、と考えられています。そして原価計算のほかにも、合理化・品質管理そして従業員の福祉・健康管理といった革新的なシステムを導入していきます。美だけではなく科学も導入して、美・科学・事業を一本化することにして「クオリティの高さ」と「多くの人々の手に」という相反した理念とも思えることを実現していきました。

そして、18世紀の時代には珍しいショールームをロンドンの目抜き通りにオープンしたり、カタログも作成されました。新しい購入者層と需要を掘り起こすための試みで、商品の魅力を伝えるためにいろいろな試みを続けていきブランドとして地位を確立することに成功しています。これは時代を考えると革新的ともいえる取り組みで、このジョシュアのマーケティング手法をブランド・マネージメントの起源として考える研究者もいるほどです。

イメージ戦略

1774年に開発された「ジャスパーウェア」ですが、1790年にジャスパーによるポートランドの壺が作製されました。この壺は1878年にウェッジウッド社の商標に組み込まれることになり、コーポレートアイデンティティの重要な要素になっています。

創業者のジョサイアは、イタリア南部にちなんでエトルリアとしただけではありません。オリジナルとは違う材料と技法で作られた作品に「ポートランドの壺」というオリジナルと同じ名称を付けています。これはあえて意識的にしています。それは古代ギリシャ・ローマのイメージを利用することでした。また、技法の特許に際しては「蝋画法」という命名をしていますが、これは同名の古代の技法と内容は全く別物の技法になっています。

この他にも、製品名につけた名前にはジャスパー(碧玉)バサルト(玄武岩)といった高級感のある名称を好んで命名しています。ウエッジウッドの名声が高まったのはイギリス王室や他の王室や貴族といったこともありますり、イギリス王室の庇護によるところが大きいのではありませすが、高級感のある命名するイメージ戦略方針は名声をさらに強める役割を果たしたと考えられています。

価格戦略

イギリスの産業革命が起こったのは18世紀半ばから19世紀にかけておこりました。ウエッジウッド社の発展はまさに、イギリスの産業革命と時期が重なります。発展した理由には、新技術を導入して製造と運搬のコストを低減して、安い価格帯の商品を大量生産した事が発展した理由だという見方もされていました。近年の研究によるとウエッジウッド社は同業の他社よりも高い価格で販売を行なっていた事が明らかになりました。それは高級感のあるデザインとイメージによって同業の他社との差別化に成功したことが大きな特徴になっています。

創業者のジョサイアが陶磁器の製作に優れていたことは大きな要因ではありますが、高級品をデザインするための参考資料にも大きな予算が比較的当てられていたことがあげられるので、組織的にデザインの品質向上が意図されていました。デザインの品質向上によって製造コストの高い装飾品部門で高い利益率を確保することができました。例えば、1798年の決算によると装飾品部門が全体の支出に占める割合は24%ですが、利潤に占める割合は43%に達していました。

高級路線だけではなく、会社としても低価格戦略を全く試みなかったわけではありません。1771年には在庫が増加したことによってウエッジウッドでは不況期になっていました。そのときには中流階級の需要開拓を狙って商品価格を引き下げることをしています。しかし商品価格を低下したことによる効果はあまり出ることがなかったので、社長だったジョサイアは「上流階級は多少の価格差に関心がなく、中流階級の購入を促すには不十分だった」と結論付けています。