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有田焼

1977年(昭和52年)に有田焼は、経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されました。その伝統工芸品の有田焼は佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器です。積み出しが伊万里港だったので「伊万里」とも呼ばれます。有田焼が焼かれている佐賀県有田町とドイツ連邦共和国のマイセンは陶磁器という町の繋がりから姉妹都市になっています。

原料には泉山陶石、天草陶石などですが、磁器の種類によって使い分けられています。作品は製造時期や様式などから大別されていて、「初期伊万里」「古九谷様式」「柿右衛門様式」「金襴手(きんらんで)」などに分けられています。このほかにも献上用の極上品のみを焼いた作品があって藩窯で鍋島藩のものを「鍋島様式」、皇室に納められたものを「禁裏様式」と呼んでいます。

柿右衛門様式

17世紀後半の1660年代から生産が始まった「柿右衛門様式」の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に上品な赤を主調としています。余白を生かした絵画的な文様を描いたものが「柿右衛門様式」です。この種の磁器は初代酒井田柿右衛門が発明したものとされていますが、研究の進展によって、この種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、有田の窯場で総力をあげて生産されたものということが分かっています。

様式の差は窯の違いではなく、製造時期と顧客層の違いであることが分かっている。この顧客層の違いという点では、柿右衛門様式は海外への輸出に主眼が置かれていた様式で、日本国内向けには古久谷様式です。

17世紀後半には、日本でも技術が大きく進歩したこともあって純白に近い生地が作れるようになりました。純白の余白部分を生かした柿右衛門様式の磁器は輸出用品の中でも最高級品として製造されていきました。

柿右衛門様式のデザイン

メインになるのは、大和絵的な花鳥図といった題材が暖色系の色彩で描かれます。そして非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴になっています。上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられていまする。また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉(さびゆう)が施されている例も多くみられます。銹釉は茶色に発色した鉄釉(てつぐすり)の一種です。

同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なっていて、柔らかくて暖かな雰囲気を感じさせるのが柿右衛門様式の特徴になっています。

濁手(にごしで)と呼ばれるお米のとぎ汁のような独特の乳白色は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われています。原料となる土の耐火性が強いということもあって調合が困難になっています。さらに焼成時や乾燥時の体積変化が非常に大きいこともあって、作製が困難になっています。

図柄の典型パターンには「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」というパターンがいくつかありますが、この図柄も時代とともに変化しているので、狩野派・土佐派・四条派・といった影響が入っていきました。最近では現代的な画風になっていて写生を基にした作品が多くなっています。

分担して製作

出来上がった作品は「酒井田柿右衛門」名義となっていますが、江戸時代での陶磁器を製作過程では、成形・焼成・絵付けといったプロセスはそれぞれの熟練した職人が分担していました。決して一人ですべてを手がけていたということではありません。明治時代以降では、数十人の職人を雇用していました。もちろん明治時代より前も同じだと考えられています。「酒井田柿右衛門」という一人の作品というよりは、製作チームの統括者でデザイナーというのが実像に近いようです。

柿右衛門様式の重要文化財

  • 色絵花鳥文八角大壺・・・出光美術館
  • 色絵花鳥文八角大壺・・・サントリー美術館
  • 色絵五艘船図大平鉢・・・サントリー美術館
  • 色絵花卉(かき)文輪花鉢・・・広島県立美術館
  • 染付山水図輪花大鉢・・・佐賀県立九州陶磁文化館

酒井田柿右衛門

初代の酒井田柿右衛門は江戸時代の陶芸家です。そしてこの酒井田柿右衛門と言う名前は、代々その子孫(後継者)が襲名する名称でもあります。

酒井田柿右衛門家は、鍋島焼における今泉今右衛門とともに21世紀の現代も家系と家業を伝えています。戸籍では「柿右衛門」を襲名しても戸籍名の変更まではしませんが、酒井田姓は本名です。そして嫡子相伝の伝統は初代から今も変わっていません。

初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立しました。マイセン窯などでも模倣品も作られるほど影響を与えた作品を作り出しました。

また、ヨーロッパだけではなく磁器の発祥地の中国の景徳鎮窯にも影響を与えています。この景徳鎮伊万里は中国でも作られて、日本と同じようにヨーロッパに輸出されました。

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