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デルフト陶器

17世紀までのイングランドでの陶業は、ロンドン・ブリストルで生産される「デルフト陶器」でした。「デルフト陶器」は、16世紀からオランダのデルフトとその近辺で生産されている陶器です。白色の釉薬(うわぐすり)を下地にしていて、スズ釉薬を用いて彩色して絵付けされる陶器です。日本ではデルフト焼とよばれることがあります。

デルフト焼きと言われてもピンとこないかもしれませんが、飛行機の尾翼にデルフト焼きをモチーフにしたものを見ることができます。

イギリス航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機体のなかには、尾翼付近に各国を象徴するデザインされているものがあって、オランダを代表するデザインとして、デルフト陶器を題材とした「デルフトブルー・デイブレーク」が選ばれました。

初期のデルフト陶器

オランダでスズ釉薬で絵付けされた陶器を最初に制作したのは、1512年に制作したアントウェルペンのグイド・ダ・サヴィーノです。その後は絵付けされた陶器の制作がオランダ南部からオランダ北部へと広まっていったのは1560年代のことだと考えられています。

1570年代にはミデルブルフやハールレムでは1570年代、1580年代にアムステルダムというように、陶器の製造が始まりました。優れた陶器の多くはデルフトで生産されていて、ゴーダ、ロッテルダム、アムステルダム、ドルトレヒトといった都市ではシンプルな普段使いの陶器が生産されていました。

オランダでスズ釉陶器の生産がもっとも盛んだったのは、1640年から1740年のことです。1640年ごろから、個人のモノグラムや工房の意匠に、デルフト陶器が使用されるようになっていました。画家だけではなく、絵付けを行う陶芸職人も参加を義務付けられていた芸術家ギルドの聖ルカ組合には、1610年から1640年にかけて10名の陶芸職人が、1651年から1660年にかけて9名の陶芸職人が、それぞれマスターとして登録されています。

大爆発

1654年にデルフトで弾薬庫で保管されていた火薬が大爆発を起こして、多数のワイナリーといった醸造所が甚大な被害を被ることになりました。この大爆発によってデルフトの醸造産業は衰退することになり、広い醸造所跡地を広い工房が必要だった陶芸職人が買い取ることになりました。買い取った陶芸職人のなかには「二つの大ジョッキ」「若いムーア人の頭」「三つの鈴」という、以前の醸造所の屋号をそのまま使用し続けた職人たちもいました。

炭酸カルシウムが豊富に含まれた泥灰土を使用することで、オランダの陶芸技術は進歩を見せることになりました。デルフト陶器に使用された粘土は、地元産、トゥルネー産、そしてラインラント産の三箇所の粘土を混ぜ合わせたものでした。

それまでの陶器は絵付けされて、透明の釉薬がかけられるだけでしたが、1615年ごろから白色のスズ釉薬で全面がうわがけされるようになりました。このことが焼成された陶器表面に深みを与えることになって、さらに青の絵付けの発色を鮮明にすることへとなり、磁器のような陶器の制作を可能になりました。

絵付けの発展

オランダ黄金時代といえば、「オランダ東インド会社」です。この東インド会社によって、17世紀初頭の中国磁器がオランダに大量に輸入されてることになりました。この中国磁器がオランダにもたらされたことによって、中国磁器の優れた品質と精密な絵付けが、デルフトの陶器職人にも大きな影響を与えることになりました。

中国磁器が輸入された開始当初は、ものすごい富裕層しか中国磁器を入手することはできませんでした。オランダの陶器職人たちはすぐに中国磁器の模倣品制作を始めたわけではありませんでしたが、明の万暦帝が1620年に死去したことで、中国磁器のヨーロッパへの輸入が途絶えてしまうと、中国磁器の模倣品の制作をするようになりました。1630年から18世紀半ばまでのデルフト陶器には、ヨーロッパで発展したデザインと、中国磁器独特のデザインの影響を見ることができます。1700年ごろには、3回の低温焼成の工程が必要になるスズ釉薬の上にエナメル顔料を用いた絵付けをする工房が出てきました。

デルフト陶器には、家庭で普段使用する装飾のほとんどないものもあれば、美術品と呼ぶにふさわしい意匠を凝らしたものといった、いろいろな種類の陶器が制作されていました。「カストステル」と呼ばれる壺のセットは多くの工房で制作されています。装飾画が描かれた絵皿も多く制作されていて、風車、漁船、狩猟、風景、海洋といったオランダを代表するようモチーフが描かれた絵皿が好まれました。そして絵皿のセットには詩歌が書かれていて、会食の場では食後のデザートがこのような絵皿で供されることもありました。デザートを食べ終わると、絵皿に書かれた詩歌を全員で歌うという光景も見ることができました。

デルフト陶器では陶板も大量に制作されているので、制作総枚数は8億枚程度と考えられています。現在のオランダでも、多くの家庭に17世紀から18世紀に制作された陶板が伝えられています。

1750年以降のデルフト陶器は美術品としての価値が下落していると考える専門家もいます。イギリスの陶芸家で、多くの著作があるアラン・カイガー=スミスは、後期のデルフト陶器の多くが「巧妙だが繊弱な絵付けがなされている。風合いにも独創性にも欠けており、18世紀終わりからのデルフト陶器産業は、残念なことに衰退の一途をたどった」としています。

衰退した18世紀

18世紀になると、デルフト陶器はイギリス製磁器に押されて市場を失っていきました。(ウエッジウッドの登場が顕著)

現在のオランダでは、昔から続いている窯元は1594年創業のフリースラント州の王立ティヒラー・マッカム工房と、1653年創業の王立デルフト陶器工房 しか存在していません。

現在の職人の手による青色の絵付けを基調としたデルフト陶器は、デルフトブルー と呼ばれるブランド名で、鑑定書つきで取引されるコレクターズアイテムになっています。白地に青色の装飾絵付けといった、はるかに高額な製品となっている18世紀以前のデルフト陶器を模範としていますが、現在のデルフト陶器には当時使われていたスズ釉薬はほとんど使用されていません。王立ティヒラー・マッカム工房では現在でもスズ釉薬を用いた陶器を生産しています。

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