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創業者ジョサイアの家族と親友

ビジネスパートナー

実業家としての手腕も優れていた創業者のジョサイア・ウエッジウッドですが最高のビジネスパートナーとの出会いもウエッジウッド社の発展に大きく関係しています。ジョサイアと生涯の大親友でもありビジネスパートナーだったトーマス・ベントレーとの出会いは1762年のことです。

ジョサイはある時、リバプールへの出張していました。その途中で右脚を痛めてしまいました。ジョサイアは、ホテルで痛めた右足を治療してくれた医師を通じて、リバプールの商人でジョサイアと同じ歳のトーマス・ベントレーと知り合いになりました。ジョサイアとベントレーはすぐに意気投合します。ジョサイアとベントレーの二人はまったく正反対のビジネス背景でしたが、ジョサイアはリバプールの商人として単なる利益を追求しているだけではないベントレーにジョサイアは魅かれ、ベントレーはジョサイアの研究熱心な姿に好感を抱きました。そして二人はその後、共同経営者として「ウェッジウッド」の礎を築いていきました。

1969年に2人は共同で新しい工場「エトルリア工場」を開設します。ベントレーが車輪を回して、ジョサイアが手回しで轆轤(ろくろ)を引いた「First Day's Vase」(初日の壷)が、この「エトルリア工場」での最初の作品です。この壺はにはジョサイアと共同経営者のトーマス・ベントレーの名前。そしてフレーズも記されていて「エトルリアの初日に制作されたもの」と記されています。壺の形はギリシャのレベースが元になっていて、絵柄にはヒッピシオン、アンティオコス、クレメノスの像の主題はハミルトンの『古代の遺跡』第1巻にある29番の平皿から取られています。銘文には「エトルリア芸術の再興」とつややかな表面に描かれています。

博学でビジネスに精通しているトーマス・ベントレーは、ヨーロッパ各国の王侯貴族に対してブランドアンバサダーとして活躍しました。目抜き通りにオープンしたロンドンのショールームでベントレーが王侯貴族のあらゆる要望に応えるために奮闘し尽力したことによって、ウェッジウッド社の名前は王侯貴族から注目を浴びはじめることになりました。

ジョサイアの妻

1764年にジョサイアは従姉妹のサラと結婚しました。ジョサイアはとても家庭を大切にしていました。妻を「サリー」と愛情をこめて呼び製品開発をするときには、サラのアドバイスにも必ず耳を傾けました。

ジョサイア1767年10月の手紙によると、「女性の嗜好についての経験からいうと、それなくしては私のポットも貧相な形態でしか作れなかったでしょうし、どのような些細な作品であっても私のサリーの賛同がなければ完成しません。」

と書いています。妻サリーのアドバイスを受けながら製品開発に望んでいた姿が伺えます。

そしてジョサイアとサラとの間に誕生した子供たちは、陶工家、科学者、社会事業家、実業家といった、あらゆる側面を受け継ぐことになりそして活躍していきました。

ジョサイアの子供たち

2人の間に誕生した長女のスザンナは後に『種の起源』を発表したチャールズ・ダーウィンの母親となります。長男のジョンは王立園芸協会の初代財務長となりました。そして創業者のジョサイア(一世)がなくなった後は、次男が事業をウエッジウッド社を引き継ぎます。次男のジョサイアII世は、画期的な美しい素地のファイン ボーン チャイナを完成させました。2人の間に誕生した最年少の息子は科学者となり最年少の息子トーマスは"英国写真の父"という称号を与えられています。 そして、その子孫にも創業者ジョサイアの科学的で革新的精神は脈々と引き継がれています

創業者ジョサイアからジョサイア二世へと世襲されましたが、それ以降、三世から五世まで経営は世襲されていきます。1895年にジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズ(Josiah Wedgwood & Sons)として会社が法人化されました。

科学者・社会事業化として

見事な陶工家そして数々の実験を重ねている顔も持っているジョサイアですが、社会事業家や科学者としての側面も併せ持っていました。

トレント&マーシー運河はリバプールから内陸までを繋いたものですが、この運河が設立されるときには時にジョサイアは多大な尽力を尽くします。自社の事業だけではなく、広く地域の発展にも寄与しました。

『私は人間ではないのか、友ではないのか』(AM I NOT A MAN AND BROTHER?)というフレーズと、手足を鎖でつながれひざまずく姿の奴隷のモチーフが施された「奴隷のメダリオン」を制作します。ジョサイアは奴隷制度廃止を訴えていて、このメダルを人々に無料で配布しました。アメリカのベンジャミン・フランクリンにもメダルをたくさん贈っています。ベンジャミン・フランクリンは、ジョシュアにメダルのお礼として「『あなたの素晴らしいカメオのプレゼント』を友人達に配布したところ、みな(跪き)祈る人の像をじっと見つめて、心を打たれた表情を浮かべます(その像はよくできていますから)」と、ジョサイアへ感謝の意を表わしています。そのほかにも、フランス革命へも賛同したりといった、自分自身の信念を貫き通しそして協力を惜しまないという、革新的精神の持ち主でした。

科学者として発明もしています。その当時として、非常に画期的となった高温になった窯の中の測る「パイロメーター」を発明しています。そして名誉ある王立協会の会員に選ばれています。