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時代ごとの酒井田柿右衛門

初期柿右衛門

初代は1666年になくなりましたが、初代の息子が二代となり(1620年~1661年)、二代目の弟が三代(1622年~1672年)は製作した時期が重なっていますがり、作風にも大きな差は見られなません。初代・二代・三代ともに極めて技量が高かったと言われています。「初期柿右衛門」とされているのは、初代から三代に加えて四代(三代の息子1640年~1679年)までの間が「初期柿右衛門」とされています。

中期柿右衛門

17世紀後半から18世紀前半にかけての約90年間、五代から七代までが中期柿右衛門とされています。五代(1660年~1691年)は技量的にあまり良くなかったこともあって、1685年から鍋島藩からの発注が差し止められることになりました。

六代(1690年~1735年)は意匠と細工に優れた叔父の渋右衛門にも助けられたこともあって、食器類のほかにも花器や香炉といった様々な磁器製品を高い水準で量産することに成功したので、中興の祖とされています。また1724年には嘆願書を藩に提出しています。この嘆願書によって差し止められていた発注も、臨時の発注の一部が酒井田家に用命されることになりました。この一方で、高い技術が必要されることから七代(1711年~1764年)以降には濁手の作品は中絶してしまうことになりました。

後期柿右衛門

18世紀前半から19世紀にかけての八代(1734年~1781年)九代(1776年~1836年)と十代(1805年~1860年)の期間は、後期柿右衛門とされています。この期間は主に染付の磁器を製作しています。七代から八代にかけて、四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多く見られます。このマークは明清の陶磁器に元々あったものです。

近代以降

十一代(1839年~1916年、襲名は1860年)は「角福」のマークの商標登録を争う訴訟を起こしたこともあって経済的に困窮しましたが、海外にも積極的な出品を行なっていました。1919年には出資する事業家と共同で、十二代が柿右衛門合資会社を設立します。そして赤絵技術と「角福」銘を供与していきました。美術品の制作を志向する十二代(1878年~1963年)は柿右衛門合資会社とは経営方針が合わなかったこともあって、1928年に合資会社の関係を解消しました。解消してからそれぞれが「柿右衛門」作品を制作しました。1969年に和解していますが、その後は合資会社は名義を使用していません。

十二代と十三代(1906年~1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標と掲げて、1953年に初めて濁手の作品を発表しました。濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択されて、1971年には重要無形文化財に指定されています。(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)

14代目 酒井田柿右衛門

人間国宝に認定された14代目となる酒井田柿右衛門は1982年(昭和57年)に14代目を襲名しました。本名は酒井田 正(まさし)さんです。

1971年(昭和46年)に本名の酒井田正名義で日本工芸会会員となってから、それ以降の約10年は本名で公募展や個展に出品していました。

略歴

1934年(昭和9年)8月26日に佐賀県西松浦郡有田町で、13代目の息子として誕生しました。

多摩美術大学日本画家で、絵付けの基礎となる部分を会得するために日本画を学んでいました。多摩美術大学を卒業してからは帰郷して父親に弟子入りしています。下積みを重ねながら、父と祖父(先々代)が蘇らせた“濁手”の技法なども学んできました。

1982年(昭和57年)に13代目の父親が亡くなったことで14代目を襲名しました。14代目を襲名した翌年にアメリカ合衆国で「クローズ・アップ・オブ・ジャパン・イン・サンフラシスコ」に海外で初出品しています。そのときにサンフランシスコ市長から名誉市民号を贈られています。「14代目柿右衛門展」は国内だけでなく海外で高い評価を集めることになりました。

2001年(平成13年)に重要無形文化財「色絵磁器」の保持者として人間国宝に認定されました。そして広く後進の育成にも力を入れていて、大学でも教えるほかにも、2011年(平成23年)にはJリーグの地元クラブ・サガン鳥栖のデザインアドバイザーにも就任しました。

2008年(平成20年)前後に、癌が見つかってからは治療しながら活動を続けていましたが、2013年5月(平成25年)に、急に体調が悪くなり佐賀大学医学部付属病院に入院して、その後ひと月ほどで亡くなりました。享年78歳です。死因は直腸癌と転移性肝腫瘍でした。遺作はJR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」の洗面所に使用されている洗面鉢が遺作となりました。

葬儀は2013年6月19日に営まれましたが、この6月19日は初代柿右衛門の命日でもあります。そして祭壇は、柿右衛門窯独自の乳白色の素地「濁手にごしで」と赤絵をイメージしたもので、白と赤の花で飾られました。柿右衛門という大きな名前を背負い佐賀の窯を代表する立場ということもあり、若手の指導に尽力されたこともあって葬儀にはたくさんの人が訪れました。技量だけではなく人柄をしのぶ声がたくさん聞かれました。

14代目酒井田柿右衛門の受賞暦

  • 1986年(昭和61年)・・・日本伝統工芸展「日本工芸会奨励賞」
  • 1992年(平成4年)・・・日本伝統工芸展「日本工芸会奨励賞」
  • 1999年(平成11年)・・・文部大臣表彰
  • 2001年(平成13年)・・・佐賀新聞文化賞
  • 2001年(平成13年)・・・旭日中綬章
  • 2006年(平成18年)・・・有田町名誉町民
  • 2007年(平成19年)・・・西日本文化賞

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