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高級食器マイセン

普段の日常生活に幸福感に包まれるひと時を過ごすために買いたい品物。ちょっとした贅沢でいつもより高級なデザートだったり、美味しい玉露やこだわりの珈琲。

人によって幸福感を感じるポイントはもちろん違いますが、高級洋食器を少しずつ増やしていくのが楽しみ♪という人もいます。新婚旅行先で求めたウェッジウッドのシリーズを少しずつ買い足しするのが楽しみ♪という方、結婚のお祝いに「サムシング・ブルー」で素敵な高級洋食器のシリーズを友人たちから頂戴したり、友人へのお祝いにコーヒーカップを2客プレゼント選びも楽しいです。

友人の家へ遊びに行ったときに素敵なコーヒーカップで出してもらうと、なんだかテンションあがりますよね?!美味しいコーヒーが更に美味しく感じるのは食器なの??!素敵な食器で料理を盛り付けるとなぜだか料理が美味しそうに見えてしまうのが不思議です。これもやはり素敵な食器だからこそです。

人気の北欧シリーズの「ダンスク」に「アラビア」。青と白の世界が広がる「ロイヤルコペンハーゲン」カラフルな色使いで大人気の「イッタラ」に最近人気が急上昇している「マリメッコ」「マリメッコ」は大胆で鮮やかな色使いでアパレルからスタートしているのでファブリックも充実しています。ファブリックとお揃いにしたい・・というところから食器としても大人気です。

出産祝いに食器をプレゼントすることも多くあります。ウエッジウッドはピーターラビットとコラボレーションした「ピータラビットシリーズ」も根強い人気があります。このシリーズはマグカップ・ボール・プレートの三点セットになっていて、子供が小学生になっても普通に違和感なく使えるのが不思議です。

「ピーターラビットシリーズ」の他にも、子供に人気の絵本シリーズから洋食器に展開している人気シリーズがあります。小さいうちから本物の食器で食事を出したい!というママ達から絶大な人気を誇っている食器シリーズで「リサとガスパール」。この絵本は1999年にパリで誕生したお洒落な絵本です。絵本の巨匠とも呼ばれるエリック・カールの「はらぺこあおむし」の子供用食器もあります。

高級洋食器ランキングのアンケート結果では1位マイセン(ドイツ)2位ウェッジウッド(イギリス)3位ロイヤル・コペンハーゲン(デンマーク)でした。食器に興味がなくても、マイセンなどは鑑定系のテレビ番組やお金持ち自慢番組などで、すっごく高い置物などで名前だけは聞いたことはありませんか。

4位エルメス(フランス)5位ノリタケ(日本)6位リチャードジノリ(イギリス)7位景徳鎮(中国)8位ナルミボーンチャイナ(日本)10位ロイヤル・ドルトン(イギリス)でした。

マイセン

間違いなく西洋白磁の最高峰と誉れ高いのはマイセンではないでしょうか。マイセンはドイツのドレスデン地方で生産されています。

東洋の中国の景徳鎮や日本の古伊万里といったものが17世紀のヨーロッパではとても盛んにもてはやされていました。白磁(はくじ)は白がベースとなっていて、主成分にはケイ酸とアルミニウムが白色の粘土の素地になっています。純白の白で薄くなっていて硬い硬質磁器がヨーロッパでもてはやされた理由には、ヨーロッパではまだその技術がなかったからです。東洋から伝わったものですが、もちろん一般庶民がごぐ普通に使っている食器ではなく大名たちに珍重されていました。

マイセン誕生

17世紀ヨーロッパの各国では競い合うように白磁の製造開発に乗り出しますが、なかなかうまくできません。驚異的な怪力の持ち主だったので強王とも呼ばれたアウグスト2世はポーランド王・ザクセン選帝侯でもあります。そしてアウグスト2世は東洋磁器の収集家でもありました。あるエピソードでは自分の軍隊(アウグスト軍)に所属している600人の兵士と交換したのは、プロイセン王が持っていた中国の壷151個という逸話もあるほどです。もちろん収集した磁器は自分の城の中へ飾っていました。

あるとき「白金」の秘密を発見しようと考えていたときに、プロイセンの王グリードリッヒ1世から追われていたヨハン・フリードリッヒ・ベトガーという錬金術師を助けます。もちろんアウグスト2世は「白金」の秘密も知りたい、そして金を生産する秘密も知りたいということでこの錬金術師を投獄します。もちろん金を作り出すことなどは不可能です。そこで錬金術師のベドガーはアウグスト2世から「金を作るように」との命令をすりかえる意味もあって、錬金術師から陶工に業種を変えることになりました。

そして錬金術師のベトガーはエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス(物理学者・数学者・哲学者)の協力を得ることになって白磁の解明に没頭します。しょして1709年に白磁の秘密を発見することに成功しました。ベトガーはその当時に陶工が試していた方法の白い卵の殻のようなきめの細かい白い物質を混ぜたものを粘土に練りこむ製法ではなくて、当時のヨーロッパの炉で焼かれていた温度よりも更に高い温度で粘土を焼きました。この高い温度で焼くことで、泥の成分を溶かして新しい物質へと変化させることに成功しました。そしてこの原材料にはザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料としました。もちろんアウグスト2世もこれには大喜びです。

翌年1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立されました。そしてここには硬質磁器製造の独占権が与えられるおとになって、これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりです。そしてこの磁器工場は数ヵ月後に25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移されました。これはこの技術が外に漏れること嫌ったからです。厳重に機密が保持されることになってそれから約100年秘密は保持されていきました。

ちなみにベルガーに協力して多大な貢献をしたチルンハウスは1707年にアウグスト2世に技術提供の代価を要求します。(金額は当時の通貨2561ターラー)アウグスト2世はこの要求に対して「王立ザクセン磁器工場」が実働を開始するまで支払いはしないとしました。1708年にチルンハウスは死去したので、この支払いを受けることはありませんでした。そしてベルガーは白磁の解明に成功したので幽閉からの開放されることはありませんでした。他国へ製法がもれるのを嫌って幽閉は続き、染付けの複製を命じられることになりました。外出さえも許されなかったベルガーはお酒に覚えれるようになってしまい1719年に37歳という若さで亡くなっているので、チルンハウスとベルガーの貢献は報われたとはいえないでしょう。

マイセンに貢献した人

ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト
絵付け師のヘロルトは、1720年~中期にかけて活躍しました。ヘロルトの在年期間は1696年~1775年です。ヘロルトはマイセンでコバルトを顔料にした絵付け技法に赤絵の顔料なども発見しました。ヘロルトはマイセンが発展するうえで大きく影響した人です。ヘロルトが絵付け師ということあって後進の育成にも情熱を注ぎました。現在もあるマイセン国立製陶養成学校のスタイルを構築したの彼です。理想のユートピア「中国」の生活を具象化した図案を多く描いて、シノワズリーを極めていきました。古伊万里が大好きだったアウグスト2世の好みにもマッチングしました。またヨーロッパの多くの王侯貴族を魅了しました。
ヨハン・ヨハイム・ケンドラー
宮廷彫刻家のケンドラーはアウグスト2世から才能を見出されました。マイセン磁器創立間もない初期から発展期にかけて、大きく活躍した人物です。1706年にケンドラーはドレスデンに近いフィッシュバッハで生まれました。1723年ケンドラーが17歳のときに宮廷彫刻家トーマエの弟子になりました。7年後の1730年に独立しました。1735年には磁器で小さな彫像を製作したほかに「白鳥の食器セット」を製作しています。翌年には小動物を多数手がけており、1741年には人物の小像として、イタリア喜劇役者をはじめとした人物小像を制作しました。マイセンを代表する「猿のオーケストラ」を1747年に制作したほかにも、たくさんの原型を残しています。ケンドラーについては知られていない部分がたくさんありますが、その理由として第一次世界大戦で多くのマイセンの資料が消滅しているのがその原因だとも言われています。1775年に68歳で亡くなりました。
グラーフ・マルコリーニ
フランス革命が起こったのは18世紀後半です。その時期のヨーロッパは市民階級が封建主義に反発した時代でもあり、その影響もあってロココは衰退していきます。華美なものよりも、日常的で実際の生活にあうものが求められるようになりました。時代の変動もあれば当然美術にも影響を受けます。美術様式も変わったこともあって、マイセン磁器製作所も存続の危機に面するようになりました。工場の再建を図るために、マルコリーニ伯爵がマイセン磁器製作所の工場長として1774年に就任します。まずすぐにマイセンの証しとして剣に追加の印を入れるよう指示します。今までマイセンが手がけてきた、華やかで煌びやかな作品たちを残しながら、時代が求めている作品を世に発表していきます。マルコリーニは時代を読み取ることができたとも言えるでしょう。そして工場長として在職した40年間の間には、花模様の絵付けなどで新古典主義の影響を見ることができます。マルコリーニがマイセン磁器製作所で工場長を務めた期間を「マルコリーニ時代」と呼んでいて、この時代のマイセン作品をコレクターは「マルコリーニ」と呼び続けています。
パウル・ショイリッヒ(1883 - 1945)
20世紀初頭に出現したパウル・ショイリッヒは、ケンドラーが築き上げた造形を踏襲しつつも、ロココのような華美な装飾をとは違った新しい様式美を作り出しました。パリで「現代装飾美術・産業美術国際展」が開かれた1925年は、いわゆるアール・ヌーヴォーからアール・デコ様式へ移行する時期でした。ショイリッヒはその10年ほど前に、アール・デコを予感させる作品を次々発表しています。1937年のパリ万博では、6点の作品がグランプリを受賞。彼の活躍により、マイセン磁器製作所は再び王者の道を歩むことになったのです。
ハインツ・ヴェルナー(1928 -)
ハインツ・ヴェルナーは、ザクセン生まれの絵付師です。その偉大な功績は、300年近いマイセン磁器の歴史においても、特筆すべきものです。今日マイセンを代表する数々の絵付けデザインは、主にヴェルナーによって創案され、その作品は幻想的でメルヘンあり、ファンタジーあり、かつ生命力にあふれています。まさに現代マイセンを代表する顔と言っても過言ではないでしょう。

マイセン磁器製作所設立250周年にあたる1960年、マイセンではいわゆるロココ期の偉大なマイセン磁器作品に匹敵するような、新しいデザインのマイセンを創造しようと「芸術家創造集団」が結成されました。「五大芸術家」と呼ばれるアーティスト達です。その中心人物がハインツ・ヴェルナーであり、その功績を称えられてドイツの人間国宝に選ばれ、現在のマイセン磁器製作所の最高顧問でもあります

マイセンの代表作

  • ブルーオニオン・・・1739年にマイセンの J.D.クレッチマーが下絵付用の青色の着色材を発明しました。中国のザクロ模様をデザインしたものですが、その当時ドイツの人たちはザクロを知らなかったため絵柄を青いタマネギと間違えたことからブルーオニオンと呼ばれるようになりました。
  • インドの華・・・全体的に華の模様が描かれているのはマイセンシノワズリ(東洋趣味)といいます。柿右衛門の写しから始まったシリーズです。インドの華が出来上がったときには、アウグスト2世はこれで柿右衛門に並んだと喜んだと言われています。
  • 柿右衛門・・・東洋の影響を受けたシリーズです。有田焼が大好きだったアウグスト2世が影響を受けたのも納得できるシリーズです。
  • ドラゴン・・・マイセン窯の絵付けとしては初期に確立されたものです。発色が見事なドラゴンシリーズは世界限定シリーズも展開しています。描かれているドラゴンは、中国の景徳鎮窯から輸出された物に書かれてる龍の図案の写しです。
  • 猿の楽団・・・初期のマイセン窯を代表する原型師(モデラー)です。1765年に創作された人形シリーズです。猿がオーケストラの楽団員に扮していえる、寓意に満ちた造形で知られています。
  • ドイツの華・・・ドイツで自生する草花を題材にしてる染付食器シリーズです。推定では1730年代に絵付師のヨハン・クリーガーによって初めて描かれたされています。それ以後は題材を植物図鑑などに求めて拡張されました。18世紀の中頃にはテーブルウェア一式となりました。

贋作防止

贋作防止のために、マイセンの陶磁器には交差した二本の剣のトレードマークが使われています。このトレードマークはマイセンの創設者アウグスト2世の紋章がモチーフになっています。二本の剣が交わる高貴なデザインは1723年から使われています。刀や鍔の傾きなどは年代ごとによって変化していて、工場長が変わったときなどにも微妙に変わっています。世界限定品も近年では手がけていて、限定品には限定品でそれぞれ二本の剣のトレードマークの他にもモチーフが描かれています。